歴史ドラマや映画、特に中国の王朝を舞台にした作品を見ていると、「宦官(かんがん)」という存在が出てきますよね。皇帝や後宮に仕えるために去勢された男性たちですが、ふと疑問に思ったことはありませんか?「宦官って、どうやって排尿していたんだろう?」と。
私自身、この疑問が頭に浮かんでから気になってしまい、少し調べてみたんです。手術の方法や、その後の排尿の仕組み、そして彼らが抱えていたかもしれない健康上の問題、例えば尿道狭窄のような泌尿器のトラブルなど、知れば知るほど奥深いテーマでした。
もちろん、これは非常にデリケートな問題ですし、歴史的な資料も限られています。ですが、彼らがどのような構造で、どんな仕方をしていたのか、そしてそれが体にどう影響したのかを知ることは、歴史の裏側にある人々の生活を理解する上で大切なことかなと思います。
この記事では、「宦官の排尿」という少しデリケートな疑問について、彼らが具体的にどうやって排尿していたのか、その仕方や構造、そして手術が体にどのような影響を与えていたのかを、一緒に見ていきたいと思います。
- 宦官の去勢手術と排尿の仕組み
- 具体的な排尿の方法や姿勢
- 宦官が抱えやすかった泌尿器系の健康問題
- 尿道狭窄などのリスクと長期的影響
宦官の排尿方法とその仕組み

まずは、宦官がどのようにして排尿していたのか、その基本的な仕組みや方法についてです。ひとくちに「宦官」と言っても、時代や地域、そしてどのような手術を受けたかによって、その後の生活が大きく異と思っていたみたいですね。
宦官とは?去勢の方法
まず「宦官」についてですが、一般的には皇帝や王族に仕えるために去勢(きょせい)された男性のことを指しますね。特に中国の歴史において、後宮(皇帝の妻や側室たちが住む場所)での労働や管理を任されることが多かったようです。
彼らが去勢されたのは、後宮の女性たちとの間に間違いが起こらないようにするため、というのが直接的な理由とされています。
去勢手術の2つのタイプ
去勢の方法は、主に2種類あったとされています。(参照:日本泌尿器科学会)
- 1. 睾丸(こうがん)のみを摘出する方法
- 2. 睾丸と陰茎(いんけい)の両方を切除する方法(全去勢)
例えば、オスマン帝国などでは睾丸のみの摘出が多かったとも言われますが、この場合、陰茎は残っているため排尿機能自体は(男性ホルモンの影響は別にしても)基本的には保持されていたと考えられます。
一方で、中国の明王朝や清王朝などでは、2の「全去勢」が一般的だったと言われています。(参照:国立故宮博物院(台湾))
これは、宦官による性的不祥事を物理的に、そして徹底的に防ぐためだったと考えられています。後宮の秩序維持を最優先した結果、より過酷な方法が採用されたのかもしれませんね。
この記事では、特に排尿への影響が大きい、この「全去勢」のケースを中心に見ていきたいと思います。
宦官の手術と排尿の構造
陰茎ごと切除する手術(「宮刑(きゅうけい)」とも呼ばれます)を受けた場合、排尿の構造は根本的に変わってしまいます。
男性の尿道は陰茎の中を通っていますが、それが根元から切除されるわけです。執刀(当時は専用の刀が使われたようです)の後、尿道の出口(外尿道口)は会陰部(えいんぶ)の皮膚に直接開口する形になります。位置としては、イメージですが女性の尿道口に近い場所に、新しい「穴」ができる感じですね。
手術の危険性と治癒の課題
ただ、忘れてはいけないのは、この手術が現代医学のような麻酔や消毒、抗生物質もない環境で行われたという点です。
手術中のショックや止血困難、そして術後の感染症(破傷風など)による死亡率は非常に高かったと言われています。この過酷な手術を生き延びたとしても、次なる試練が「治癒」でした。
切断された尿道の先端は、傷が治る過程で「瘢痕(はんこん)組織」という硬い組織に置き換わります。これはケガが治るときにできる「あと」と同じですね。しかし、衛生環境が悪い中で炎症を繰り返すと、この瘢痕組織が過剰にでき、尿道の出口を塞ぐように縮んでしまう(=狭窄する)ことが非常に多かったようです。
この「尿道狭窄」こそが、宦官の生涯を苦しめる排尿問題の最大の原因となっていきます。
宦官はどうやって排尿したか
では、この新しい尿道口を持った宦官は、具体的にどうやって排尿していたのでしょうか。
陰茎がないため、尿の方向を定める「ノズル」の役割を果たす部分がありません。そのため、現代の男性のように立って尿の方向をコントロールすることは不可能だったと考えられます。尿は、会陰部にできた尿道口から直接、勢いなく流れ出るか、あるいは四方に飛び散るような状態だったと想像されます。
排尿姿勢と衣服の問題
そのため、多くの宦官は以下のような方法を取らざるを得なかったようです。
- しゃがんで排尿する(女性と同じスタイル)
- 座って排尿する
立って用を足すことができないため、基本的にはしゃがむか座るかする必要がありました。しかし、当時の宦官が着ていた衣服(多くはズボンや袴のような形状)を考えると、毎回しゃがんで排尿するのは非常に不便であり、衣服を尿で汚してしまうことも日常茶飯事だったのではないでしょうか。
また、一部の史料や証言では、尿の飛び散りを防いだり、尿を特定の方向に導いたりするために、小さな筒や管(竹筒や金属製のガイドのようなもの)を尿道口に当てて排尿した、とも言われています。これが個々人で用意したものなのか、公的に支給されたものなのかは定かではありませんが、そうした工夫なしには日常生活が成り立たなかったのかもしれませんね。
中国の宦官における排尿事情

特に宦官の数が数万人規模に達したとも言われる中国(特に明・清の時代)では、排尿の問題は非常に深刻だったようです。
前述した手術後の治癒がうまくいかず、尿道が極端に狭くなった宦官は、排尿に非常に長い時間がかかったり、一度にすべて出し切れずに常に尿意を感じたり(頻尿・残尿感)していたと言われています。
さらに悪いことに、尿道の出口がうまく機能しないため、自分の意思とは関係なく尿が漏れ出てしまう「慢性的な尿漏れ(尿失禁)」状態にある宦官も少なくなかったとか。
宮殿に漂う「匂い」
彼らが仕える宮殿、特に宦官が寝起きする場所では、独特のアンモニア臭が漂っていた、という記録もあるようです。これは、彼らが抱える排尿の問題(失禁や衣服の汚れ)と深く関係していたと考えられます。彼ら自身、この匂いに悩まされ、尊厳を傷つけられていた可能性も高いですよね。
尿漏れ対策として、現代のおむつのように、股間に吸水性のある布などを常にあてがって生活していた宦官も多かったのではないかと推測されます。
豆知識:手術後の過酷なケア
全去勢の手術後、治癒の過程で尿道が完全に塞がってしまうのを防ぐため、数日間(あるいは数週間)、ガチョウの羽の軸や金属の管などを尿道に挿入し続け、尿の通り道を確保する、といった処置が行われたそうです。現代から考えると、麻酔も鎮痛剤もない中でのこの処置は、想像を絶する苦痛だったでしょうね。
宦官の排尿と健康への影響
排尿がうまくコントロールできない、あるいは常時失禁状態にあるということは、衛生面で大きな問題を引き起こします。
衣服や下着が常に尿で湿っている状態は、皮膚の炎症(あせも、かぶれ、湿疹)を引き起こしやすくなります。また、尿に含まれるアンモニアによる刺激で、皮膚がただれてしまうこともあったでしょう。
さらに深刻なのは、尿道口が会陰部にあるため、肛門との距離が非常に近くなる点です。これにより、排便時に大腸菌などの細菌が尿道口から侵入しやすくなり、「尿路感染症(膀胱炎や腎盂腎炎)」を生涯にわたって繰り返す原因にもなったと考えられます。
彼らの多くは、排尿の不便さだけでなく、常に悪臭や皮膚トラブル、そして命に関わる可能性のある感染症のリスクと隣り合わせの生活を送っていたのかもしれませんね。
宦官の排尿困難と泌尿器疾患
宦官の排尿問題は、単なる「不便さ」だけでは終わりませんでした。彼らの多くは、その手術の性質上、深刻な泌器系の疾患に生涯悩まされることになったようです。
宦官が抱えた泌尿器系の問題

宦官が直面した最大の問題の一つが、先ほどから触れている「尿道狭窄(にょうどうきょうさく)」です。これは文字通り、尿の通り道である尿道が狭くなってしまう病気です。(参照:日本泌尿器科学会『尿道狭窄症』)
なぜ宦官がこれに悩まされたかというと、去勢手術の際に切断された尿道の断端(切り口)が、治癒の過程で硬い瘢痕組織になって縮んでしまうためです。これにより、尿の出口が物理的に狭められてしまいました。
尿道狭窄が引き起こす日常の苦痛
尿道が狭くなると、当然ながら尿の勢いが悪くなります。排尿がチョロチョロとしか出なくなり、用を足すのに非常に長い時間がかかります。さらに、膀胱(ぼうこう)に尿が残りやすくなる「残尿」も発生しやすくなりますね。
残尿があると、
- すぐにまたトイレに行きたくなる(頻尿)
- 寝ている間も何度もトイレに起きる(夜間頻尿)
- 常に下腹部が張っているような不快感がある
といった症状に悩まされます。これはQOL(生活の質)を著しく低下させる要因になったはずです。
宦官特有の尿道狭窄リスク
宦官の尿道狭窄は、現代で起こる尿道狭窄(例えば外傷や性感染症が原因のもの)とは少し異なる点があったようです。
彼らの場合、手術で陰茎を失っているため、尿道が非常に短い状態です。その短い尿道の出口が狭窄してしまうと、細菌が膀胱や腎臓に逆流しやすくなり、膀胱炎や腎盂腎炎(じんうじんえん)といった深刻な感染症を繰り返し引き起こす原因になったと考えられます。
感染と狭窄の悪循環ループ
さらに厄介なのは、この「狭窄」と「感染」が悪循環を生み出すことです。
【負のスパイラル】 尿道が狭窄する 尿が出し切れず、膀胱に「残尿」が発生する 残尿(溜まった尿)の中で細菌が繁殖しやすくなる 膀胱炎や尿道炎などの「尿路感染症」を引き起こす 尿道の炎症が起こると、治癒の過程でさらに瘢痕組織が作られる 尿道の狭窄がさらに悪化する → 1.に戻る
このループにはまってしまうと、症状は悪化の一途をたどることになります。当時の医療では、この悪循環を断ち切ることはほぼ不可能だったでしょうね。
慢性の尿閉とは?その症状

尿道狭窄がさらに進行し、尿道がほぼ完全に塞がってしまうと、「尿閉(にょうへい)」という状態になることがあります。これは、尿意があるにもかかわらず、全く排尿できなくなる、非常に危険な状態です。
もし宦官がこの状態に陥ったとしたら…。想像するだけで恐ろしいですね。尿が膀胱に溜まり続けると、下腹部はパンパンに張り、激しい痛みを伴います。
そして最終的には、膀胱からあふれた尿が腎臓に逆流して腎機能が低下する「水腎症(すいじんしょう)」や、体内に老廃物が溜まる「尿毒症(にょうどくしょう)」を引き起こします。尿毒症は、吐き気や嘔吐、けいれん、意識障害などを引き起こし、最終的には死に至る深刻な状態です。(参照:国立研究開発法人 国立循環器病研究センター)
慢性的に尿の出が悪い宦官は、常にこの尿閉のリスクと隣り合わせだったわけです。当時はカテーテルなどの導尿技術も未熟だったため、一度完全な尿閉になれば、それは死を意味したのかもしれません。
尿道狭窄の現代的な治療法
ちなみに、現代医学では尿道狭窄に対してどのような治療が行われるのでしょうか。
現代では、こうした症状に対して確立された治療法があります。
- 尿道ブジー(拡張術): 金属やプラスチック製の細い棒(ブジー)を尿道に挿入し、狭くなった部分を物理的に押し広げる方法。
- 内視鏡的手術: 尿道から内視鏡(カメラ)を挿入し、狭窄部を直接見ながらメスで切開する方法。
- 尿道形成術: 狭窄している部分の尿道を一度切除し、正常な尿道同士を繋ぎ直したり、口の中の粘膜などを移植したりする外科手術。
これらの治療法は、泌尿器科の専門医によって行われます。(出典:日本泌尿器科学会『尿道狭窄症』)
現代の医療のありがたみ
もし宦官たちが現代にいて、適切な泌尿器科の治療を受けられていたら、彼らのQOL(生活の質)は全く違ったものになっていたでしょうね。歴史的な背景を知ると、現代の医療技術の進歩を改めて感じさせられます。
宦官の泌尿器に関する長期的影響
去勢手術、特に全去勢は、排尿の問題だけでなく、ホルモンバランスの観点からも体に長期的な影響を与えました。
睾丸から分泌される男性ホルモン(テストステロン)がなくなるため、体毛が薄くなる、声が高くなる、筋力が低下するといった身体的変化が起こります。それだけでなく、骨粗しょう症のリスクが高まることも知られています。骨がもろくなれば、少しの転倒でも骨折しやすくなりますね。(参照:日本骨粗鬆症学会)
宦官の寿命に関する一考察
「宦官は男性ホルモンがないから長生きだった」という説を聞いたことがあるかもしれません。実際に一部の記録では長寿の宦官もいたようですが、それはあくまで一部の幸運な例だった可能性が高いです。多くの宦官は、先述したような慢性的・繰り返す尿路感染症や、それが原因の腎機能障害(尿毒症)によって、むしろ平均寿命よりも短命だったのではないか、と私は推測します。
泌尿器系の問題(排尿困難、失禁、感染症)という日常的なストレスと、ホルモン欠乏による長期的な身体の変化(骨粗しょう症、筋力低下)が組み合わさることで、多くの宦官は心身ともに大きなハンディキャップを抱えながら生活していたと考えられます。
健康に関する情報について
この記事で触れている病気や症状に関する記述は、歴史的な文脈に基づく一般的な情報提供を目的としています。現代において、もし排尿に関するお悩み(尿が出にくい、残尿感がある、尿漏れがするなど)がある場合は、決して自己判断せず、必ず泌尿器科などの専門医にご相談ください。
宦官の排尿に関する史実まとめ
今回は、「宦官の排尿」という、歴史の中でもあまり表立って語られることのないテーマについて、私なりに調べてみました。
陰茎ごと切除された宦官の多くは、しゃがんで排尿する必要があり、尿失禁や感染症、そして何より「尿道狭窄」という深刻なリスクに生涯晒されていたようです。
歴史ドラマで見る彼らの華やかな(あるいは権力を持った)姿の裏には、私たちが想像しにくい、非常に過酷な身体的苦痛と、尊厳に関わる日常的な悩みがあったんですね。
単なる好奇心から始まった調査でしたが、歴史の1ページとしてではなく、そこに生きていた「個人」のQOL(生活の質)の問題として考えると、色々と考えさせられるものがありました。

