沖縄本島の北部、通称「やんばる(山原)」と呼ばれる豊かな森。そこだけにひっそりと暮らす、鮮やかな赤い口ばしと脚を持つ鳥、ヤンバルクイナ。テレビやネットのニュースで「絶滅危惧種」として紹介されるたびに、「どうしてそんなに減ってしまったの?」「やっぱり飛べないから弱いの?」と疑問に思う方も多いはずです。

実はその理由は単純なものではありません。彼らが太古の昔に選んだ「飛ばない」という進化の選択、そこへ突如として人間が持ち込んだマングースなどの外来捕食者、そして私たちの便利な生活を支える車社会という現実。これら複数の要因が複雑に絡み合い、彼らを絶滅の淵へと追いやってきました。近年は外来種対策が大きく前進し、2024年には奄美大島でフイリマングースの根絶が宣言されるなど明るい兆しもありますが、回復してきた今だからこそ直面する「ロードキル」という新たな試練も待ち受けています。
この記事では、なぜヤンバルクイナが絶滅の危機に瀕してしまったのか、その根本的な理由(Reasoning)を深掘りしつつ、生息状況の推移や、私たちが観光で訪れる際にできる具体的な保護アクションについて、徹底的にわかりやすく解説していきます。
- 飛べない鳥に進化した理由とそれが弱点になった背景
- マングースによる捕食と近年の対策の節目について
- 現在回復傾向にある中で新たに問題となっている交通事故の現状
- 観光で訪れる際に私たちが守るべき具体的なマナーとルール
ヤンバルクイナが絶滅危惧種となった主な理由
まずは、なぜヤンバルクイナがこれほどまでに個体数を減らし、環境省のレッドリストで「絶滅危惧IA類(CR)」という最も深刻なカテゴリーに指定されるに至ったのか。その背景には、彼らの生物学的な特性と、人間活動による環境変化のミスマッチがありました。
- 飛べない鳥に進化した背景と弱点
- マングースや猫による深刻な捕食被害
- 交通事故やロードキルによる個体減少
- 開発による生息地の分断と環境悪化
- 現在の生息数と回復傾向の推移
飛べない鳥に進化した背景と弱点

ヤンバルクイナの最大の特徴であり、最大のチャームポイントでもある「飛べない」という身体。しかし、彼らは最初から飛べなかったわけではありません。生物学的な視点で見ると、これは単なる「退化」と断定できるものではなく、島の環境に適応した結果としての形質変化(進化)と捉えられます。
天敵のいない楽園での選択
かつて琉球列島が大陸から切り離され、島として独立していく過程で、沖縄本島にはヤンバルクイナの成鳥を常時狙うような陸生の中型肉食哺乳類(ネコ科・イタチ科など)がほとんど存在しない状態が続きました。こうした環境では、莫大なエネルギーを消費して翼を動かし「空を飛ぶ」という能力を維持する必然性が相対的に低くなります。
地上生活への特化
その代わり、彼らは森の地面(林床)を縦横無尽に走り回り、落ち葉の下にいるミミズやカタツムリ、昆虫などを効率よく捕まえるために、強靭な脚力を発達させました。飛ぶための大きな胸筋は発達しにくくなり、翼も小さめですが、その分、地上での生活には高い適応力を示しています。
しかし、この「捕食者の不在を前提とした適応」こそが、後の悲劇を招く最大のアキレス腱となってしまいました。人間が外部から強力な捕食者を持ち込んだとき、飛んで逃げる術を持たない彼らは、きわめて脆弱な立場に置かれてしまったのです。
マングースや猫による深刻な捕食被害

ヤンバルクイナを危機的状況に追い込んだ最大級の要因の一つが、外来生物や人為的に増えた捕食者の存在です。意図せずとも、人間活動が捕食圧を一気に引き上げてしまいました。
ハブ駆除の救世主?悲劇の始まり
1910年、ハブやネズミの駆除を期待して、外来のマングース(沖縄で問題となったのは主にフイリマングース)が沖縄島に持ち込まれました。しかし、昼行性のマングースと夜行性のハブは活動時間がずれやすく、またハブはマングースにとっても危険な相手です。
結果としてマングースが強く影響を及ぼしたのは、ハブよりも捕まえやすい在来の小動物や地上性の鳥類などでした。地面に巣を作り、卵を産み、ヒナも飛べないヤンバルクイナは、とくに被害を受けやすい条件が重なっていました。マングースの分布拡大とともに、ヤンバルクイナの分布域が北部へ押し込まれるように縮小したことが、各種調査で指摘されています。
忍び寄る「ノネコ」の影
マングースだけでなく、人間に捨てられて野生化した猫(ノネコ)も深刻な脅威です。猫は行動範囲が広く、樹上にも登れるため、地上だけでなく高い場所にいる個体にも影響を及ぼし得ます。
ヤンバルクイナは夜間、地上の危険を避けるために樹上で休息(ルースティング)することがありますが、ノネコはその場所にも到達できる可能性があります。実際に、国頭村では過去に「年間80頭以上」が捕獲された年があるなど、飼育放棄や野外での餌やりが生態系へ与える影響の大きさが問題視されてきました。
交通事故やロードキルによる個体減少

外来捕食者への対策が進み、捕食圧が下がってきた現在、新たに大きな死因として目立っているのが「交通事故(ロードキル)」です。これは、個体数や分布が回復してきたからこそ顕在化しやすい、現代社会特有の課題と言えます。
なぜ道路に出てくるのか?
彼らが道路に出てくるのには、いくつかの理由が重なります。
- 餌資源の豊富さ:道路脇の側溝(U字溝)には落ち葉が溜まりやすく、そこに虫やミミズなどの餌が集まりやすいことがあります。
- 雨上がりのミミズ:雨の後に地表へ出てきたミミズなどを狙って、結果的に舗装面へ出てしまうことがあります。
- 水たまり:状況によっては水たまり付近へ近づくこともあります。
魔の「ストップ・ロードキル月間」
特に5月前後から初夏にかけては注意が必要です。この時期は繁殖・子育てのシーズン(概ね春〜夏)にあたり、親鳥が餌を探して動き回る機会が増えます。また、巣立ったばかりの若鳥は警戒心が弱く、車を危険として認識できないまま道路に出てしまうことがあります。草むらから突然飛び出す小さな鳥を、走行中の車が回避するのは非常に難しい場面もあります。
開発による生息地の分断と環境悪化
直接的な死因だけでなく、生息環境の悪化も長期的に大きく影響します。道路整備やダム建設、林道の敷設、周辺土地利用の変化などにより、森林が減少したり質が変化したりすることは、暮らしの基盤を揺るがします。
森が分断されるリスク
森林が道路や開発地によって寸断されると、生息地が細切れ(フラグメンテーション)になります。すると、分断されたそれぞれの森の中でしか繁殖ができなくなり、個体群同士の交流が途絶えてしまいます。これは遺伝的多様性の低下を招き、病気や環境変化に弱い集団になってしまう「近親交配」のリスクを高めます。
また、森の奥深くまで道路が通ることは、人間だけでなく、猫などが森の深部(コアエリア)へ侵入しやすくなる側面もあり、複合的な圧力を高めてしまうことがあります。
現在の生息数と回復傾向の推移
ここまで厳しい現実をお伝えしてきましたが、絶望する必要はありません。多くの人々の懸命な努力により、ヤンバルクイナの未来には希望の光が差しています。
| 時期 | 推定個体数 | 生息状況の特徴 |
|---|---|---|
| 2008年頃 | 約1,000羽 | 2000年代に個体数が大きく落ち込み、危機感が高まっていた時期。外来種対策の強化が進み始めた。 |
| 2022-2023年頃 | 約1,500羽 | 外来種対策の効果などにより分布域と生息数が回復傾向。再び確認される地域もみられる。 |
回復期ならではの「パラドックス」
推定で約1,500羽規模まで回復したことは大きな成果ですが、一方で「回復したからこその悩み」も生じています。生息環境の良いエリアで密度が高くなると、縄張り争いなどの影響で若い個体が周縁部へ移動しやすくなることがあります。
その結果、道路沿いや人里近くなど、事故リスクの高い場所でロードキルが発生しやすくなり、対策エリアを広げる必要が出てくるなど、新たなフェーズの課題に直面しているのです。
ヤンバルクイナが絶滅危惧種の理由を踏まえた対策
「飛べない」という弱点と、外来種や車社会という脅威。このミスマッチを解消し、共存していくために、現在どのような対策が行われているのでしょうか。行政の取り組みから、私たち観光客ができることまでを見ていきましょう。
- マングース根絶宣言までの道のり
- ロードキルを防ぐフェンス等の対策
- 観光客が知るべき観察時のマナー
- 世界自然遺産としての価値と課題
- ヤンバルクイナが絶滅危惧種の理由と今後の課題
マングース根絶宣言までの道のり

外来種対策は、日本の自然保護における重要な挑戦の一つです。南西諸島では、捕獲・モニタリング・データ解析を組み合わせた長期的な防除が続けられてきました。
現場では、専門チームが罠の設置や自動撮影カメラによる監視、データ分析を継続し、低密度になった段階では探索犬なども活用して「残りを取り切る」精密な手法が用いられています。こうした取り組みの成果として、2024年には奄美大島でフイリマングース根絶が宣言されました(出典:環境省『奄美大島における特定外来生物フイリマングースの根絶の宣言について』)。
沖縄島北部(やんばる)でも、長年の防除により確認数が大きく減少しており、引き続き「完全排除」を見据えた監視と対策が継続されています。
ロードキルを防ぐフェンス等の対策

車との衝突を防ぐため、やんばるの道路には独自の工夫が凝らされています。ドライブ中に見かけることもあると思うので、ぜひ注目してみてください。
【道路上の3大守護神】
① クイナフェンス 道路沿いの側溝に設置された高さのあるネットや金網。物理的にクイナが道路へ出にくくするための仕組みです。 ② アンダーパス(ネコボックス) 道路の下を通る小さなトンネル。道路を横断せずに森から森へ移動できる安全な通路として整備されています。 ③ ワンウェイゲート(一方通行出口) もしフェンスの隙間などから道路側へ入ってしまった場合に備え、「道路側からは森へ抜けられるが、森側から道路へ入りにくい」構造の出口を設ける考え方です。モニタリングで利用が確認されており、閉じ込めリスクを下げる工夫として活用されています。
観光客が知るべき観察時のマナー

世界自然遺産となったやんばるの森。私たち観光客が現地を訪れる際、絶対に守らなければならない「命のルール」があります。
【ドライバーと観察者の心得】
- 制限速度以下で走る(スピードダウン):「野生動物が飛び出してくるかもしれない」ではなく「飛び出す可能性が高い」と考えて運転してください。特に早朝や夕方、雨上がりは要注意です。
- 「子猫」のようなヒナを拾わない:真っ黒で綿毛のようなヒナが道路脇にうずくまっていることがあります。一見、親とはぐれて弱っているように見えても、親鳥が近くで見守っている場合があります。保護のつもりで連れ去ってしまう「善意の誘拐」を防ぐため、絶対に触らず、距離を取って見守ってください。
- 餌付けは絶対NG:人の食べ物は栄養面でも危険があり、「道路=食べ物がある場所」と学習させてしまうことで事故リスクを上げます。絶対に与えないでください。
世界自然遺産としての価値と課題
2021年の世界自然遺産登録以降、やんばるを訪れる人が増える傾向がみられています。「野生のヤンバルクイナを見たい」という気持ちは自然なものですが、追跡・停車・夜間の過度な探索などが重なると、動物にも地域にも負担になり得ます。過度なプレッシャー(オーバーツーリズム)にならないよう注意が必要です。
最近では、「クイナの森」のような生態展示学習施設も人気です。ここでは保護下にある個体をガラス越しに観察でき、野生個体を追い回すことなく学びを深められます。こうした「責任ある観光(サステナブル・ツーリズム)」を選ぶことも、私たちができる立派な保護活動の一つですね。
ヤンバルクイナが絶滅危惧種の理由と今後の課題

まとめになりますが、ヤンバルクイナが絶滅危惧種となった理由は、天敵が少ない島の環境で形成された「飛翔能力が高くない(飛べない)」という特性に対し、人間が持ち込んだ「外来捕食者」や、現代の「自動車交通」といった脅威が急激に加わったことにあります。
しかし、外来種対策の前進などにより、回復の兆しが見えてきた今、私たちは「共存」という新しいステージに立っています。回復した彼らが安心して暮らせるよう、生息域を面として守り広げ、ロードキルを減らすこと。そして、私たち人間が彼らの庭にお邪魔しているという謙虚さを忘れないこと。
次の世代にも、あの愛らしい「森の飛べない鳥」の姿を残していけるかどうかは、これからの私たちの行動にかかっています。

