初夏の風が吹き始める頃から秋にかけて、水辺をゆったりと黒い羽で舞う姿が印象的なハグロトンボ。子供の頃は近所の川で当たり前のように見かけていたけれど、「そういえば最近、あまり見かけなくなったな……」と感じている方も多いのではないでしょうか。実はその感覚、地域によっては決して気のせいではありません。ハグロトンボは全国的には広く分布する一方で、都市部など一部地域では生息環境の変化により減少が指摘されています。

その一方で、このトンボはお盆の時期に姿を見せることが多いと感じられてきたため、「神様トンボ」や「仏トンボ」などとも呼ばれ、古くからご先祖様の使いとして大切にされてきた特別な生き物でもあります。なぜ地域によって数が減ってしまっているのか、そして似ているミヤマカワトンボとの見分け方や生態を知ることで、次回の散歩中の観察がもっと深く、楽しくなるかなと思います。今回は、ハグロトンボの現状と魅力について、とことん深掘りしていきます。
- 地域によって大きく異なるハグロトンボの絶滅危惧レベルとレッドデータ指定状況
- 川と森の両方が必要な独特のライフサイクルと、都市部での減少の理由
- 神様トンボやお歯黒トンボと呼ばれる興味深い由来とスピリチュアルな意味
- フィールドで役立つ、似ているミヤマカワトンボとの確実な見分け方
ハグロトンボが絶滅危惧種という噂の真実
「ハグロトンボは絶滅危惧種だ」という話を聞いて驚いた方もいるかもしれませんし、「えっ、うちの田舎にはたくさんいるよ?」と不思議に思う方もいるでしょう。実はこの認識のズレこそが、ハグロトンボという生き物の現状を物語っています。ここでは、ハグロトンボが置かれているリアルな現状について、公的なデータの考え方も踏まえながら詳しくシェアしますね(「絶滅危惧種」という言葉の基本やレッドリストの読み方は 「スズメは絶滅危惧種なのか?数が減少する理由と私たちにできること」 で整理しています/地域差の読み解き方は 「地域で変わるレッドリストの見方(アズマヒキガエルの例)」 も参考になります)。
- 東京で絶滅危惧II類に指定される理由
- 生息地の減少は川と森の分断が原因
- 成虫が見られる時期とお盆の関係
- 似ているミヤマカワトンボとの見分け方
- 希少な個体は捕まえてもいいのか
東京で絶滅危惧II類に指定される理由
まず結論からお伝えすると、ハグロトンボは日本全国レベルで見れば、現時点では環境省レッドリストの「絶滅危惧カテゴリー」には掲載されていません。
つまり、日本全体から今すぐに姿を消してしまうという切迫した状況だと一律に判断されているわけではありません。しかし、ここで安心してはいけません。これはあくまで「全国スケール」の話であって、地域ごとの状況は大きく異なるからです。
大都市圏では「幻のトンボ」になりつつある
特に関東エリア、その中でも東京都の区部(23区)では、状況が厳しく評価されています。東京都のレッドリストでは、ハグロトンボは「絶滅危惧II類(VU)」(区部)に選定されています。一方で、同じ東京都でも多摩部などでは「ランク外」と整理されるなど、同一都県内でも地域差があるのがポイントです。

地域による指定状況の違い(例)
住んでいる場所によって、ハグロトンボの「レア度」はこれほど違います。
- 環境省(全国版):ランク外(=国の絶滅危惧カテゴリーには掲載されていない)
- 東京都(区部):絶滅危惧II類(VU)…絶滅の危険が増大している
- 青森県:準絶滅危惧(NT)相当(県の表記例:希少野生生物(Cランク)など)…現時点では絶滅危惧ではないが、生息条件の変化で移行する可能性がある
- 神奈川県:要注意種…絶滅危惧ではないが、開発等の影響に注意が必要
(出典:環境省『日本のレッドデータ検索システム』)
このように、地方に行けばまだまだ普通に見られる「普通種」である一方で、都市部では開発や河川改修の影響を受けやすく「希少種」として扱われることがある。この極端な二面性こそが、ハグロトンボの保全を考える上で非常に重要なポイントなんです。
生息地の減少は川と森の分断が原因
では、なぜ都市部だけでこれほど減ってしまったのでしょうか。単に「水が汚れたから」と片付けられがちですが、実際には生息環境のつながり(連続性)が断たれることが大きく関係します。

ポイントは、彼らのライフサイクルと、「川と周辺の緑地のネットワーク」の分断です(護岸工事などで水辺の生き物が減る話は 「アメンボが身近な水辺から消える原因」 でも具体例があります)。
川だけでは生きられない独特な生態
ハグロトンボは、一生を川の中だけで過ごすわけではありません。彼らの生活史を簡単に追ってみましょう。
- 幼虫(ヤゴ)時代:流れの緩やかな川の中で、水草などに隠れて過ごします。
- 羽化と移動:初夏に羽化して成虫になると、未成熟期には水辺から少し離れた場所で過ごすことがあります。
- 林での生活:水辺から離れた林縁や林内、竹林などのやや薄暗い場所で、数日〜数週間ほど栄養を蓄えながら成熟します(場所や気候で幅があります)。
- 水辺への帰還:成熟が進むと再び川に戻り、パートナーを探して繁殖活動を行います。

ここが減少の最大の理由! つまり、ハグロトンボが安定して暮らすには、「幼虫が育つための水草などがある川」と、「成虫が成熟期に利用できる周辺の緑地(林縁・藪など)」が、近い距離でセットになっていることが重要です。
高度経済成長期以降の都市開発で、多くの川は治水のためにコンクリートで固められ(三面護岸)、川の中の植生が乏しくなりました。さらに、川沿いにあった鎮守の森や雑木林が削られ、住宅や道路に変わってしまいました。 川はあっても水辺の植生が乏しい、あるいは周辺の緑地が少ない……。こうして「水辺と緑のつながり」が分断された結果、地域によってはハグロトンボが生きにくくなってしまったのです。
成虫が見られる時期とお盆の関係
ハグロトンボの成虫が見られるシーズンは、地域や気候にもよりますが、だいたい初夏(5〜6月頃)から秋(9〜10月頃)までと比較的長期間です(寒冷地では短く、暖地では長くなる傾向があります)。
しかし、私たちが川辺で彼らをよく目にするのは、もっと限られた時期ではないでしょうか? 観察上の傾向として、個体数が多く目につきやすいピークが、7月中旬から8月(お盆の時期を含む)と重なる地域もあります。
これは先ほど説明したライフサイクルとも整合します。羽化直後の未成熟な個体は水辺から少し離れた場所を利用することがあり、人目につきにくい場合があります。一方、成熟が進んで繁殖のために水辺へ集まりやすくなる時期が真夏に重なると、結果として「お盆の頃によく見る」という印象になりやすいんですね。真夏の強い日差しの下、水面を黒い羽でひらひらと優雅に飛ぶ姿は、どこか涼しげで神秘的。この「お盆の時期に水辺で見かけやすい」という経験則が、後で紹介する「神様トンボ」という呼び名の背景になったと考えられます。
似ているミヤマカワトンボとの見分け方
川遊びやハイキングをしていると、「あ!黒いトンボだ!ハグロトンボだ!」とテンションが上がることがありますよね。でもちょっと待ってください。もしかするとそれは、よく似ている別のトンボ、「ミヤマカワトンボ」かもしれません。
パッと見はどちらも黒っぽくて、蝶のようにひらひら飛ぶので見間違えやすいんですが、観察ポイントさえ押さえれば誰でも簡単に見分けられます。

| 特徴 | ハグロトンボ | ミヤマカワトンボ |
|---|---|---|
| 羽の色・模様 | 全体が均一に黒色。 基本的に目立つ帯状の模様はない。 | 全体的に赤褐色〜茶褐色。 羽の先端付近に濃い茶色の帯(斑)がある。 |
| メスの羽の特徴 | 縁紋はなく、偽縁紋も目立たない。 (見えても非常に淡いことが多い) | 縁紋はないが、メスの羽の先端に白い点(偽縁紋)が現れる。 |
| 体の大きさ | 中型(57-67mm)。 華奢な印象。 | 大型(63-77mm)。 均翅類の中でも大型で迫力がある。 |
| 主な生息場所 | 平地〜低山地の比較的ゆるやかな川。 条件が合えば市街地近くでも見られる。 | 山間部の渓流〜上流域。 より自然度が高い場所で見られやすい。 |
一発で見分けるコツ
私がフィールドで判断するときに見ているのは、「羽に濃い帯(斑)があるかどうか」です。 羽が黒っぽく見えても、透かしてみて茶色みがあり、先端付近に濃いバンド状の斑があればミヤマカワトンボの可能性が高いです。逆に、目立つ帯がなく黒っぽい印象が強ければハグロトンボの可能性が上がります。また、山奥の渓流にいるのはミヤマカワトンボ、里山の小川にいるのはハグロトンボ、というように場所から推測するのも有効ですよ(ただし地域差はあります)。
希少な個体は捕まえてもいいのか
黒くて優雅なトンボを見つけると、子供と一緒に「捕まえてみたい!」となることもありますよね。昆虫採集は自然と触れ合う素晴らしい体験です。
一般論として、ハグロトンボは全国一律で捕獲禁止に指定されている種ではありません。 ただし、採集が制限されるケースはあります。たとえば国立公園の特別保護地区など場所に基づく規制、自治体条例や公園のルール、そして地域レッドリストで希少とされる地域での配慮などです。先ほどお伝えした通り、東京のように地域レベルで「絶滅危惧II類(区部)」に選定されているエリアでは、扱いには少し配慮が必要です。

私からのおすすめ:キャッチ&リリース、もしくは「撮る」採集 数が減っている地域では、むやみに持ち帰るのではなく、観察したらその場で放してあげる「キャッチ&リリース」を推奨したいです。 また、ハグロトンボは比較的近くの葉や石に止まってくれることも多いので、網で追い回して羽を傷つけてしまうよりも、静かに近づいてスマホやカメラで撮影するほうが、彼らの美しい金属光沢をじっくり楽しめますし、思い出にも残りますよ。
絶滅危惧種とも呼ばれるハグロトンボの魅力
ここまで、少し真面目な環境の話をしてきましたが、ここからは少し視点を変えてみましょう。生物学的な話から少し離れて、ハグロトンボが持つ不思議な魅力や、昔の人が彼らに込めた想い、民俗学的なストーリーについて紹介します。 これを知ると、ただの「黒い虫」だったハグロトンボが、とても尊い存在に見えてくるはずです。
- 神様トンボや仏トンボと呼ばれる由来
- 黒い羽がお歯黒トンボという名の由来
- スピリチュアルな意味と幸運の予兆
- 勝ち虫として知られる縁起の良さ
- まとめ:ハグロトンボは絶滅危惧種なのか
神様トンボや仏トンボと呼ばれる由来

ハグロトンボには、地域によって「神様トンボ」や「仏トンボ」という、なんともありがたい別名があります。なぜこれほどまでに神聖視されてきたのでしょうか。
理由の一つとして語られるのが「時期の一致」です。観察上、お盆の頃に水辺でよく見かけると感じられやすかったため、昔の人々は「このトンボに乗ってご先祖様の魂が帰ってきた」「ご先祖様の使いである」と結びつけて考え、子供たちにも「捕まえてはいけないよ」「いじめちゃダメだよ」と言い聞かせて大切に見守ってきた——という地域の伝承があります。
合掌するトンボ
もう一つの理由が、彼らの独特な動きです。ハグロトンボが葉っぱに止まった時、4枚の羽をゆっくりと閉じたり開いたりする動作を繰り返すことがあります。 このゆったりとした動きが、まるで人が手を合わせて拝んでいる(合掌)姿に見えることから、「仏様が拝んでいるようだ」として「仏トンボ」の名がついたとも言われています。実際に観察してみると、本当に何かにお祈りを捧げているようで、見ているこちらの心まで静まるような不思議な動きなんですよ。
黒い羽がお歯黒トンボという名の由来

もう一つの面白い呼び名が「お歯黒トンボ」です。若い世代の方は「お歯黒」自体あまり馴染みがないかもしれませんが、かつて日本の既婚女性が行っていた、歯を黒く染める化粧法のことです。
ハグロトンボの黒い羽がこの「お歯黒」の色に見立てられたことが由来の一つとされます。さらに、羽を開閉するあの動きが、女性がお歯黒を見せて笑ったり、恥ずかしがって口元を袖で隠したりするような、優雅で女性的な所作に重ねられて名付けられた、という語られ方もあります。
オスは腹部が金属光沢のある緑色に見えることがあり、メスは全身がシックな黒褐色。光の当たり方で印象が変わるのも、このトンボの大きな魅力ですね。
スピリチュアルな意味と幸運の予兆
スピリチュアルな観点からも、ハグロトンボは特別な意味を持つ生き物とされています。色彩心理学やスピリチュアルな世界において、「黒」という色は単なる暗闇ではなく、「すべてを含む色」「根源」「大きな変化」の象徴とされることがあります。
そのため、ふとハグロトンボが目の前に現れるときは、以下のようなメッセージがあると言われることがあります。
- 人生が良い方向に大きく変化する前触れ(好転のサイン)
- ご先祖様や守護霊が見守ってくれているというメッセージ
- 今の悩みが解決に向かう予兆
もちろん科学的な根拠はありませんが、散歩中に彼らを見かけると「なんかいいことあるかも」とポジティブに受け取ってみるのも、日常を少し明るくしてくれる“楽しみ方”の一つかもしれません。
勝ち虫として知られる縁起の良さ

これはハグロトンボに限らずトンボ全般に言えることですが、トンボは古来より日本で「勝ち虫(かちむし)」と呼ばれ、特に武士階級に好まれたモチーフとして知られています。
その理由としてよく語られるのが「前へ進む」イメージです。トンボは機動力が高く、前進の飛翔が得意で俊敏に動き回ります。この性質が「退かずに攻める」「勝利へ進む」という縁起に重ねられ、「決して退却しない」という言い回しで象徴的に語られてきました(実際の飛翔は後退やホバリングも可能で、ここはあくまで縁起や比喩としての表現です)。
戦国武将の兜の前立てや、鎧、刀の鍔(つば)などの装飾にトンボのモチーフが使われるのは、そうした縁起の良さが背景にあるとされています。ハグロトンボの黒い姿は、より「凛とした強さ」や「動じない心」を連想させたのかもしれません。
現代における縁起の良さ 「前へ進む」象徴として語られてきたトンボ。何か新しいことに挑戦しようとしている時や、大事な勝負事の前に見かけたら、それを「迷わず進め」と背中を押してくれるサインのように受け取ってみるのも素敵ですね。
まとめ:ハグロトンボは絶滅危惧種なのか
最後に、今回の内容を要点としてまとめます。
- ハグロトンボは全国的には環境省レッドリストの絶滅危惧カテゴリーには掲載されていないが、東京(区部)などの都市部では絶滅の危機(絶滅危惧II類など)にある地域がある。
- 減少の主な要因として、河川改修(護岸工事等)による水辺環境の単純化や、周辺の緑地減少による「川と周辺環境のつながり」の分断が挙げられる。
- お盆の時期に水辺で見かけやすいと感じられてきたことなどから、「神様トンボ」「仏トンボ」としてご先祖様の使いと結びつけて語られてきた。
- ミヤマカワトンボとの違いは「羽の先端付近の濃い帯(斑)」が目立つかどうか。
- 見かけたら「環境がまだ残っているサイン」になり得るので、そっと観察して優しく見守りたい存在。
「ハグロトンボ 絶滅危惧種」と検索してこの記事にたどり着いたということは、きっとあなたの身近な場所で、あるいは旅先で、この美しい黒いトンボに出会えたのかもしれませんね。もしそうなら、それはとてもラッキーなことです。
ハグロトンボがそこにいるということは、そこにはまだ「ヤゴが育てる川」と「成虫が利用できる周辺環境」の両方が残っていて、豊かな自然のサイクルが回っている可能性があるという証拠にもなります。
もしまた見かけることがあったら、スマホを向ける前に少しだけ立ち止まって、手を合わせて「お帰りなさい」と心の中で声をかけてみてください。その優雅な舞いは、きっと私たちに忘れかけていた自然への敬意や、心の安らぎを思い出させてくれるはずです。


